2013年10月14日月曜日

ハインリッヒ・シュリーマン『シュリーマン旅行記 清国・日本』(La Chine et le Japon au temps présent)

トロイの発掘で知られるシュリーマンだが、トロイ発掘を思い立つ前に日本にもやって来たことは案外知られていない。ロシア貿易(クリミヤ戦争での武器密輸など)で巨万の富を築いたシュリーマンは19世紀半ば一度行ってみたかった清国と日本を見物するためはるばる極東までやってくるのだ。時は1865年6月。鳥羽伏見の戦いに先立つこと3年の幕末動乱期。シュリーマンの日本滞在はわずか1ヶ月ほどだったが、鋭い偏見のない観察眼でシュリーマンは日本について多くのことを学ぶ。それをフランス語で書き表したのがシュリーマンの処女作となるこの本であるが、日本の「本質」を見抜くすぐれた分析となっている。その国のことを理解するのに必ずしも長くその国に住む必要はない。これは短期間のアメリカ滞在だけで不滅の名著『アメリカの民主政治』を書き表したトクヴィルの例を挙げるまでもない。ビジネスマンならではの具体的な観察にも富む。面白かったです。二三印象に残ったこと(順不同):

  1. 日本の清潔さにシュリーマンは大いに感動している。不潔で有名だった当時の清国に先に訪問していたから特に印象深かったのかも知れないが、日本人は労働者でも毎日入浴しきっちり整理整頓するとべた褒め。
  2. 日本家屋の簡素な美しさにも感動している。特に家具がほとんど無い簡素な生活ぶりについては『家の中に家具をゴテゴテ揃える我々西欧人は世間体を気にしすぎているのではないか』と自分たちの生活習慣を反省しているぐらい。
  3. 日本人の律儀さと規律。シュリーマンの江戸での行動には幕府から護衛(下級武士)が10人ほど付いてくるのであるが、彼らはお礼とか贈り物を一切受け取らない。横浜税関の役人も賄賂は断固として拒絶する。役所での仕事ぶりもきわめてきっちりしていると感心している。
  4. 物価。労働者の手間賃や工芸品や書籍はきわめて安いと驚いている。その一方で昼メシ代に15フラン(現在価値で1万5千円ぐらい)を請求され、ちょっと不満気味。幕府の案内役としては外国人を一杯メシ屋なぞに連れて行くわけにも行かず料亭みたいなところに連れて行ったのであろうが(ちゃんと本人にカネを払わせメシ屋に領収書を出させるなど、まことにきっちりしているが)日本の料亭で出される料理の実質価値と名目価格の比率(費用・効果比)は今も昔も同じなのであるなあと、今度はおいらが感心。また古美術屋の陶磁器の値段には驚倒している。
  5. 日本の自然と江戸の都市景観の美しさに感動している。何処でも樹木が一杯で公園の中に都市があるようだと、またどの民家にも小さな庭があり植栽が美しいと感動。まあ、当時の江戸の人口は250万人、全国人口は3000万人程度。これなら自然と共存できるわけだ。
  6. 売春婦(花魁、芸者)の社会的地位の高さに驚いている。これは文化の違いか。
  7. 当時の国内政治動向について、シュリーマンは「イナカの有力大名たちが、財力にものを言わせ、自分たちの既得権益を守るため、外国人嫌いの庶民を扇動し、保守的な朝廷勢力を担ぎ出し、開国文明開化に積極的な江戸幕府を追い詰めている」と分析。妥当な見方だろう。
  8. 面白いことにシュリーマンは貨幣交換比率について幕府に文句を言っていること。当時の日本では、金(小判)と銀(一分銀)の価値比率が国際基準と違っていた。一分銀が名目だけの価値しかない定位貨幣(補助貨幣)であったためだが、一分銀3枚=一ドルという平価をアメリカと約束したため大量の小判国外流出を招くことになる。幕府は急遽貿易用の小判と一分銀の改鋳を行いそれを防止したが今度は西欧諸国が条約違反だと文句を言い出し結局元に戻した(と歴史の教科書には書いてある)。外国人にとってめでたしめでたしの筈だったが、シュリーマンによるとこの特権は在日外国大使館・領事館の公務員にのみ適用され一般外国人には適用されなかったようだ(それで儲け損なったシュリーマンは文句を言っている)。ハリスやオールコックなぞはこれで個人的に大儲けしたはず。これは自分たちだけ特権を貰って後は『お目こぼし』という意味で一種の収賄に当たるのではないかと思う。古今東西、役人というものは(江戸幕府の真面目な下級役人をのぞき)どうしようもないな。

シュリーマンは商店の見習いから身を起こし、国際貿易で巨額の財を築いたビジネスマン。学校にも行ってないので独学で勉強した。巨万の富を稼ぐやいなやビジネスからは引退し自分の好きなことをはじめる。諸国漫遊の旅を続けるうちにトロイの発掘を思い立ったようだ(トロイ発掘は小さい頃からの夢でそのために仕事を辞めたというのはウソ)。当時の冒険商人特有の押しの強さもあり、遺跡発掘でも列強の圧力を利用してかなり強引なことをやった。そのため現代のインテリには今ひとつ評判がよくない人ではあるが、彼なんかにこそブローデル流の資本主義の精神を見ることが出来るとは、言い過ぎか。


シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))

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